これは、私が第一子を妊娠し、妊娠22週で突然「子宮頚管無力症」ではないかと診断され、その後大きな総合病院に転院し、23w2dで「シロッカー手術」を受ける事にした時の日記。
妊娠22週で突如「子宮頚管無力症」と診断された。聞いたこともない病名をネットで調べ、入院しながら不安な日々を過ごす。
通っていた産婦人科では22週ではシロッカー手術は出来ないと言われ、地域の大きな総合病院に転院。妊娠23週でも「シロッカー手術」を出来ると判断され、そのまま妊娠36w6dまで入院。
そうして第一子は無事出産し、第二子は「予防シロッカー手術」をして無事に生まれています。二人の子供は何の障害もなくとても元気に過ごしています。
私は子宮頸管が短いと診断されシロッカーをするか迷い不安にかられ当時たくさん調べていました。同じ経験をされている方の参考に少しでもなればと思いブログにしました。第一子、初めて妊娠で子宮頚管無力症を知ってから、シロッカー、そして無事に産まれるまでの日記です。
20w3d 「子宮頚管が少し短くなっている」と医師に指摘される。
長かったつわりがやっと少しずつ治まり、少しご飯が食べれるようになって安堵した時の事だった。
産科はどこにしようか迷ったけど、地域で産後の食事が美味しいと言われる綺麗な産婦人科にかかっていた。個人ではないので立派な建物が二棟もあるので安心していた。ただ今思えば、ここは産婦人科だけで、何かあった場合の麻酔科も新生児科もない。今通りかかるとその病院から時々新生児専用の救急車が出ている。問題ない分娩なら良いが、想定以上の事があった時対処できない産婦人科だった。
通常の妊婦検診で医師に「子宮頚管が少し短い気がする。会社はその間休み、自宅で絶対安静で過ごして、一週間後にまた来て」と言われる。一週間自宅でほぼ横になって過ごす。
21w3d 子宮頚管無力症と診断され入院が始まる
一週間後再び産科へ行く。医師から「この前より子宮頚管がさらに短くなっている。子宮頚管無力症の可能性がとても高いので、このままではお腹の子供が早々に産まれてしまうので危ない」と言われ、そのまま入院することになり、お腹の張り止めの点滴を打ち始める。タオルやパジャマなどは夫に持ってきてもらった。
かといって入院先で何かあるわけではない。張り止めの点滴を打ちながら一日一回診察があるだけ。医師は「このまま入院するか、入院してても臨月まで持たない事もあるけど・・。シロッカー手術が唯一の方法だけど22週ではもう手術できない」と言われる。
数日その病院で入院しながら不安な日を過ごすと医師は「ここでは手術できないけど、近くの総合病院ならもしかしたら手術してくれるかも知れない。ここでは点滴を打ち36週まで入院している妊婦もいる。残るか総合病院に転院するか決めて」という・・
決めてって、シロッカー手術が何かもわからない。安全なものなのか?こういう時はシロッカーする人が多いのか?何を選択すれば、お腹の子供が一番安全なのか知識がなかった。
23w0d 総合病院に転院
数日後、外来の診察が始まる前の時間帯、入院患者の診察。医師は「総合病院に転院する方がいいと思うよ」と言い、私もよく分からないシロッカーだが可能性にかけた方が良いと判断し転院する事を決めた。今思えばもっと早く、一日でも早くに、大きな総合病院(麻酔科、新生児科、ハイリスク妊婦を受け入れる体制のある産科)に転院すればよかったと思う。
診察で話したあと病室に戻ると、看護師さんが来て「今先生が救急車呼んだからあと5分で来るよ。」と言われる。
え、今すぐ救急車が来る?急な話でまだ病室の私物をまとめきれてない。そんなの後で旦那さん呼ぶからやってもらえばいいよ。と話してるうちに、もう救急車のサイレンが聞こえる。
担架をもった救急隊員の方々に心配そうに「大丈夫ですか?」と尋ねられる。
私はまあ何というか・・どこも痛くないし動ける。でも、動かない方がいいようだし、点滴も外せないから救急車で移動するのかな?病室から担架に自分で横たわり点滴をしたまま救急車に乗る。点滴を棒から外し看護師さんが転院先に着くまで点滴をずっと持って付き添ってくれた。
救急車はサイレンを鳴らしながら、10分で総合病院の周産期科に到着した。
転院先の総合病院は、ハイリスク妊婦や手術が必要な妊婦を受け入れる地域の要の周産期科、万が一の早産時にも対応できる新生児科の医師チームがいて、もしものための新生児の為のNICUも完備、手術に欠かせない麻酔科専門医師など整備された大きな病院で、医師の数も多くチームでチェックしながら対応してくれていた。
総合病院で検査を受けると、医師は「ギリギリだけど、シロッカー手術できそうです。すぐシロッカーしましょう!」と言ってくれた。前の病院と違ってすごい安心感。シロッカーは受けるべきものだと知った。もっと早くこっちの病院にくればよかった・・・
すぐと言っても当日は何もせず。翌日はシロッカー手術にも母子ともにリスクがある事の説明を受ける。でもシロッカーをしないと状況はもっと悪くなるので、シロッカーがその時の最善策だと感じた。
23w2d シロッカー手術
手術当日の朝、麻酔科の医師が病室にきた。「いよいよですね~」とにこやかな先生だった。まぁ手術直前に神妙な面持ちは良くないから気を遣ってくれたのだろう。麻酔の説明を受ける。
下半身麻酔をして、シロッカー手術は1-2時間で終了した。
あとで医師に話を聞くと「赤ちゃんを包む膜が少し出てきていたから、押し込んで縫っておいたよ。あっはっは。もう大丈夫。でも1.3cmの所を縫ってるからこの後は安静にして過ごして。退院時期は子宮頚管長の長さや経過を見て判断しよう」とのこと。
しばらく入院。2-3週間すると元気になり「いつ退院できますかね?」と聞くも「子宮頚管長短いね」が続き、張り止めの点滴は毎日欠かさず続ける。(シャワーの15分間のみ点滴の連結部からボトルのみを外せた)
医師によれば点滴1(張り止め薬の濃度で1が一番弱い)で問題なければ、張り止めの飲み薬に変更、飲み薬でお腹が張らずに子宮頚管長も2cmとかあれば退院できるとか。
しかし、点滴1でも子宮頚管長1.1cmとかで点滴2になったりして全然退院できなかったので、臨月に入るまで退院は無理だろうなと感じ始めた。一度でも自宅に帰りたかったが、病院なら医師もいるし今おなかにいる子供の状態にとって入院が一番安心なので、もう入院を楽しむことにした。ネットでガーゼ生地を買って家に配送して夫に休日にその生地と裁縫道具を持ってきてもらった。ベッドの上で時々座っては生まれてくる赤ちゃんの為のスタイやおくるみを作った。別の妊婦さんは毛糸を使って赤ちゃん用の帽子を作っていた。
トイレもシャワーもあまり動かないように、なるべく横になっててと言われたので、あとは寝ながらYouTube見たり、雑誌読んだり、手芸したり、ゲームしたり。
食事も毎食目の前まで運んでもらえる。仕事で忙しかったころは考えられない位、ゆっくり過ごせた。
ただ、妊娠のホルモンの影響なのか、点滴を打つ場所がもうなく腕が限界で傷むのか、病室の白い壁と季節を感じない完全な空調設備、小さな窓から見える同じ風景、味気のない病院の食事、制限された甘味、話し相手は限られた人、様々な不安やストレスから初めの1-2か月は心の状態はつらい時もあった。
入院のメリットとしては、毎日胎児の心拍を20-40分かけて図ってくれたのでお腹の赤ちゃんの心拍って早いんだな~とか、赤ちゃんがお腹の中で動くので心拍がうまく測れなくて看護師さんと赤ちゃん元気だね~と話したり、毎日赤ちゃんの成長を感じて良い思い出。
また総合病院という事もあり若手医師や研修医も多く、週に何回かお腹のエコーをして赤ちゃんの様子を見せてくれた。私は赤ちゃんの色んな角度を見れるし入院で話し相手がいないから医師と話せて楽しいし、研修医はエコーの練習させてねと言っていた。私は一日やることないから好きなだけエコーやってください。赤ちゃんたくさん見れて嬉しかった。エコー写真を山ほどもらって、写真たてに飾って眺めていた。
臨月まで1か月をきり長期入院も楽しいなと吹っ切れたころ、退院が決まった。なんでも、臨月はもう出産しても良い月だから、保険が適用されず入院費が高額になるらしい。
臨月に入る前日36w6dで退院が決まった。
毎日していた張り止めの点滴も、36w5dの夜、初めて本格的に外れた。
36w6d 出産
点滴を外した36w5dの夜、お腹が張ってきた。張り止めの点滴を外すと反動でお腹がとても張る事は経験済みだったので、痛いなと思いつつ、看護師さんに相談しても張り止めの点滴を外したからかなとの事で様子見になった。
夜中お腹痛くて眠れず。今までにない痛み。
36w6dの朝7時、出勤した医師が診察してくれるも出産の兆候も異常もなし。お昼での退院が決定。
マジか・・こんな、おなかが張って痛いのに家帰るのか~・・
朝9時ふとトイレに行くとおしるしがでて、助産師さんが診察してくれると出産間近だった。「前回医師の診察で問題なしから2時間でここまで子宮口が開くと出産まで早いね」と言われ、
急いで分娩台に車いすで運ばれ、夫に「産まれる~」と電話する。夫は「え?退院するかと思って今お布団干してる~」「すぐ来て~」
あの痛みは陣痛であった。
外来で診察に回っていた担当医がすぐ駆けつけてくれた。
もしやと気になって科からの連絡を取れるようにしていました。産まれますね~
いよいよ!頭が出ますよ~と医師が言うと「あれ?手?何これ足?どうなってる?」「先生!エコー見て!」
二日前までずっと頭が下だったのに、この二日で突然逆子になっていた。
足から出ようとしてる!破水して生まれる間際で「カイザー」となった。
陣痛頑張ってきたのに結局、帝王切開かよ~
分娩台のすぐ隣が産科用手術室だったので、すぐに医師が数人集まっていて、麻酔科の医師もきて緊急手術が行われあっという間に赤ちゃんが産まれた。
夫が慌ててきたら、もう生まれていた。
36週6日2,600g。元気な子。
あの時シロッカー手術をしていて本当に良かった。
あの時、子宮頚管無力症を発見してくれた医師、シロッカー手術をしてくれた医師、気持ちが落ち込んだ入院生活で妊娠での知識を教えてくれて励ましてくれた看護師さんや助産師さん、最後まで諦めずお腹で成長してくれた我が子。すべてに感謝。
以上、私が子宮頚管無力症と診断され、シロッカー手術をして、無事出産するまでの日記でした。
今妊娠中の方も無事に出産されるよう心より願っています。
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